山田塗装のあゆみ

Yamada TOSO history

第一章

黎明期

昭和23年 酒田港は開港場に指定されて国際港となった

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わずか8坪の借家からスタート

弊社のはじまりは、昭和24(1949)年、
山形県酒田市南千日町のわずか8坪の借家からでした。
ここで創業者・山田進は、看板や案内図をつくる仕事を始め、
最初に取りかかったのは、駅前に設置する酒田市街の案内図でした。
当時の酒田市には案内図がありませんでした。
しかし、酒田港が開港場に指定されたことで、ゆくゆくは船の出入り、
さらには人の行き来も増えるだろうと見込んだ創業者は、
「街の中心に、美しくてわかりやすい
案内図が必要だ」と思い立ったのでした。
完成した案内図は、このころでは珍しい、
役所や商店など目的地のボタンを押すと明かりが点く仕掛けで、
新聞にも大きく取り上げられるほど、話題を呼ぶものとなりました。

スーパーマーケット「ト一屋」のオープンで賑わう酒田市

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北海道に進出、そして法人化を果たす

昭和35(1960)年ごろから弊社は塗装業へと転向しました。
創業者は、塗装に必要な最小限の道具と、
足となる自転車を購入し、塗装店として営業を開始しました。
この決断が功を奏し、また、初代の社会のために
尽くしたいという地道で熱心な働きぶりも評価され、
着々と会社は発展。昭和39(1964)年には、
若竹町に120坪の事務所兼自宅を構え、
仕事も道路に白線を引く区画線工事の依頼が増えてきました。
時代は高度経済成長のまっただ中。
自動車需要の急増もあいまって、道路網の整備・拡充の必要性が
一段と高まり、県外にも事業を拡大していった弊社は、
昭和42(1967)年に北海道営業所(現:札幌支店)を開設。
また、安定したサービスと安心を提供したいと考え、
優れた人材の確保、事業者としての信頼度を高めようと、
昭和44(1969)年10月1日、法人化し
「山田塗装株式会社」を設立しました。
創業20年という節目での念願達成でした。

Yamada TOSO trivia

人の心を教えた「山田学校」

昭和50年代後半まで弊社の社員は、創業者の自宅も兼ねた事務所に
住み込みで働いており、夜になるとお酒を片手に創業者を囲んで語り合う
「山田学校」が開かれていました。
ここで創業者が何度も伝えたことは、“相手の立場で物事を考え、
素直な心、感謝の心、謙虚な心を持ち、行動する”という、
人として忘れてはいけないことでした。